『心の中』の未来軸のお話です。
「今日は現場、一緒になりそうだな」
朝食の席で。
二人ほぼ同時に鳴った緊急連絡に、スマホの画面を確認しながら爆豪が呟く。
「ああ。それ程の規模の現場って事だよな」
すぐに向かえる旨を返信し、途中だった朝食をそのままに席を立った。
「わりィ、爆豪。メシ残す」
「しゃーねェわ。この状況は。俺だって残すわ」
素早く皿を片付けながら、「はよ行け」と爆豪が視線だけを上げる。
「俺もこれ片したらすぐ行く」
その言葉に頷いて、爆豪に背を向けた。
「ヴィランによる、無差別殺人テロ」
伝えられたのは、最悪の状況だった。
俺と爆豪は、プロになってから同居を始めた。
俺から誘って、一度あやふやにされた後、数日経ってからOKの返事をもらった。
「ザマァねェな、ヒーローショート。この前の返事、オーケーだわ」
お前を一人にしといたらロクな事ねェだろ。
そう言って笑った爆豪の顔を、今でも鮮明に憶えている。
ああ、眩しいなと――そう、思ったから。
あの日も、現場が重なった。
瓦礫から一般市民を守ろうとした俺へと、崩れてきたコンクリート。
足をやられて、個性の発動が一瞬遅れた。
――その一瞬が、命取りになる。
覆い被さるようにして市民を守る事を優先した俺に、しかし巨大なコンクリートが倒れてくる事はなかった。
その代わりに、大きな爆発音が響く。
俺が発生させた氷ごと、コンクリートが砕け散っていた。
顔を上げると、見慣れた靴が見える。
俺の前で屈んで己の膝へと肘を乗せた男が、頬杖をついて笑っていた。
通勤ラッシュで込み合っている電車を脱線させ、それを合図とするように、周囲のビルがいくつも崩壊した。
「あの時に似てるな……」
他のヒーロー達と共に現場へと乗り込みながら、呟く。
あの時の犯人達は捕まったが、全てが下っ端ばかり。
捨て駒のような奴等ばかりだった。
「――これが本番か? それとも更に何か、狙ってんのか?」
探るように辺りを見るが、答えが見つかる筈も無く。
『ヴィランを警戒しながら、人命救助を優先せよ』
そんな指示を聞いていた。
捜索を開始した俺達の前には、地獄のような光景が待ち構える。
こんな事は、ザラにある。
崩れ落ちた建物に、煙るような砂埃。
呻き声や叫び声に混じる、風の音。
そしてその風に乗った、血の匂い。
駆け付けられたからと言って、全てを助けられる――。
そんな、甘いものではない。
それでも助けたいと願う、助ける事を実現させようとする――それが、ヒーローというものだ。
「たす……けてッ……」
微かな声が、耳に届く。
辺りを見回すと、崩れた瓦礫に挟まれ、血を流す女性の姿が目に入った。
「今、助けます」
駆け寄り、声をかける。
頭の傷は、先程から少しずつ崩れ始めている細かな瓦礫が掠めた所為だろう。
右掌を地面へとついて、氷を出す。
氷の柱で、ビルの壁を支えた。
「ち、……がう……私じゃ、ない」
あの子を助けて、と震える手で一点を指差す。
その先には、中学生くらいの少年が、崩れた瓦礫に挟まれていた。
「私の、息子なの。お願い……私はいいから、……あの子を、助け……て……」
私はもう――そう言った女性の声に重なるように、背後から声が掛かった。
「おい、ショート!」
聞き慣れた声に、振り返る。
爆豪が、こちらへと駆けてきていた。
「爆心地。ちょうど良かった、手を貸してくれ。瓦礫が不安定だ」
俺の言葉に、女性が「あぁ」と落胆したような声を洩らす。
爆豪を見上げ、再び先程と同じ台詞を吐いた。
「お願い。息子、を……私は、いいから。あの子を助けて……」
「いや、あっちがすぐに崩れる事はない。こっちが優先だ」
「ち、がうの。……お願いよッ」
俺の判断を否定して、彼女が縋るように爆豪を見上げる。
彼女の言葉に眉間の皺を深くした爆豪が、何を思ったのか突然瓦礫へと潜り込んでいった。
「爆豪!」
危ねぇッ、と思わず普段通りの呼び方をしてしまった俺を、睨みながら出てくる。
「安全確認が出来ていないんだぞ。二次被害になり兼ねない行動は――」
俺の言葉には答えずに、爆豪が息子の方へと視線を向けた。
「彼女の言う通り。あっちが『優先』だ、ヒーローショート」
わざと「ヒーロー」に力を込め、強く言う。
『母親』という存在に、俺が冷静さを欠いているとでも思ったのだろう。
「爆心地。俺は、冷静だ」
しかし。爆豪は俺のその言葉すらも、無視をした。
「むこうが優先だっつってんのに、お前は、行かねェんだな?」
確認するように訊いてくる。
答えは解りきっている、とでも言いたげな物言いだった。
「……そうだな。彼女を一人にはできない」
チラリと俺を見て、「そーかよ」と落とす。
愛想のないセリフはしかし、怒っているワケではないらしい。
普段なら怒鳴って返してくる場面なのに、爆豪は静かだった。
「なら俺が行くから、お前は彼女についてろ」
時間がねェ、とばかりに飛び出していく。
本来なら俺の氷でガードしつつ、瓦礫を爆破したかっただろう。
けれども、俺がいないから――。
爆豪は右手で少年の頭を抱え込み、我が身を盾にしなから左手で瓦礫を爆破した。
瓦礫の破片が降り注ぐのを、更なる爆撃で吹き飛ばす。
計算ずくのその行動は、相変わらず天才的で、繊細だった。
少年を傷付ける事なく、救い出す。
「もう大丈夫――」
そう言いながら彼女を振り返って、目を剥いた。
顔色が、異様に悪い。
「寒いですか?」
屈んで、震えている彼女に声をかける。
この氷の所為で、体調を悪化させたのかもしれない。
しかし彼女は俺を見ずに、息子だけに意識を向けている。
そうして、息子の無事な姿を見て幸せそうに微笑んだ。
「あり……が、とう……」
呟くように言った次の瞬間、ガハッ! と血を吐き出す。
俺は驚愕のあまり、動けずにいた。
「ショート!!」
爆豪の声が、遠くで聞こえる。
そしてその声が、俺を引き戻した。
すぐさま這って、さっき爆豪がしていたように瓦礫の中へと潜る。
「あ……」
崩れたコンクリートから突き出した鉄骨が、彼女の腹部を貫通していた。
瓦礫を破壊したならば、彼女への衝撃は相当のものとなるだろう。
その行為が、トドメを刺す事になりかねない。
彼女の血が、じわりじわりと辺りを染める。
寒さになのか痙攣なのか、彼女の体が震え続けていた。
外に出て、彼女の肩へと左手を置く。
もう俺に出来るのは、これくらいしかなかった。
「あり……が…と、う……」
彼女の瞳は最期まで――息子と、彼を助けた爆豪へと向けられていた。
その後の記憶は酷く曖昧で。
母親を助けられなかった俺を責める息子の叫びと、それを抱き締めるように止める爆豪の背中。
俺を心配する同じ事務所の後輩へは、「俺に怪我はない」と上手く作れているか判らない笑顔を向ける。
報告書もそこそこに、家へと帰った。
外はまだ明るいのに、家の中は暗い。そして水の中のように、空気は冷たかった。
電気も点けずに、廊下を進む。
自室へと入って、扉を閉めた。
その途端、己の中で張っていた『何か』が、プツンと切れる。
「――――――ッ!!」
無言で、机上の物を払い落とした。
ガシャーンッ! と派手な音を立てて落ちた物が、お母さんと撮った写真であると気付く。
フォトフレームのガラスが砕け、床へと破片をぶちまけていた。
手の甲が、やけに痛む。
払った拍子に、ガラスで切っていたのだろう。
右手が緋(あか)く、濡れていた。
彼女の血を思い出す。
もっと早くに、爆豪のように瓦礫の中を確認していれば。
頭のケガの割に青すぎる彼女の顔色に、きちんと気付いていれば。
もっと早くに、現場に到着できていれば。
もっと。
もっと――!!
散々暴れて、床に散らばった物もそのままに布団へと潜る。
暗い空間の中に、自分を閉じ込めた。
ガチャリと音が鳴って、バタンと玄関の閉まる音がする。
あれから少ししか経っていない気もするし、ひどく長い時間が流れた気もした。
自室の扉がノックされる音がして。
答えずにいたのに、当然のように扉を開く気配がした。
「………………」
爆豪が無言のまま、扉の前で立っている。
しばらくしてから、部屋へと入ってきた。
「……大事な、写真なんじゃねェんか」
カタリ、と音がする。
きっと割れたフォトフレームを、立てて置き直してくれたのだろう。
それでも――礼の言葉さえ、口に出す事はできなかった。
爆豪の気配が、近寄ってくる。
しゃがんだのだろう爆豪は、何も言ってこない。
微動だにしない彼に、ほんとにそこにいるのかと確かめたくなる。
けれど顔を見られたくなくて、布団の外を見る事ができなかった。
「轟」
爆豪が、俺を呼ぶ。
ピクリと体は震えたが、声は出てくれない。
「轟、出てこいや」
優しくかけられたおだやかな声は、まるで別人のようだ。
どんな表情(カオ)で爆豪がその言葉を発したのか、見たい気はした。
けれど。
「……わりぃ……。今は、無理だ」
こんな顔見せられねぇ、と言葉にはせず拒んだ。
「じゃあええわ」
あっさりと引いた爆豪が、笑っている気がする。
「なら。手だけ出せ」
意図が解らなくて、左手を布団から出した。
出した左手へと、そっと指先が添えられて。「反対の手だわ」と弾かれた。
少し躊躇ってから、血の出ている左手を出す。すぐさま、チッと舌打ちの音が聞こえた。
「バカが」
吐き捨てると同時、握手するように右手が握られる。
「痛かったんだろが。ちゃんと言えや」
俺には言えや、と零して。
握られている手はそのままに、爆豪の親指が小さく俺の手を撫でた。
己に対してなのか、爆豪になのか。思わず笑いが洩れる。
「これくらいのケガ、現場ではしょっちゅうだろ?」
俺の言葉にはもう一度、チッと舌打ちの音が返った。
「違げぇ。昔、てめぇが言っとった方のヤツだわ」
掌から伝わるモンがあるんだろが、と僅かにだけ、握る手に力が込められる。
掌を見せるって行為は――。
「私の心を見せますよ」
「あなたに嘘はついていませんよ」
そういう意味らしい。
だからきっと。掌同士を触れ合わせるって事は、心同士を見せ合うって事に違いねぇんだ。
そう思って……願って。
あの日。
握り続けた手。
憶えてくれていたのか、と思う。
震えようとする手で、爆豪の手を握り返した。
「……轟。俺がテメェと同居したのはな、別に、テメェの母親みたくメシ作ったり掃除したり、洗濯する為じゃねェんだよ。『こーゆう時』に、テメェの傍にいる為なんだわ」
「………………」
爆豪の言葉で。
思わず呼吸が止まった。
――迂闊にも、涙が出そうになった。
歯を食いしばって。
ありがとな、と声には出せない言葉を伝える。
声に出したらきっと、泣いちまう。
堪えて。留めようとしているものが、溢れてしまう。
「なあ、轟」
爆豪の声は、どこまでも優しくーー俺の中へと響いてくれる。
「忘れんな。お前の帰る場所は『此処』で……お前は、此処ではただの一人の人間だ」
ヒーローじゃなくな。
「俺が、受けとめてやる」
「俺が、守ってやる」
掌から伝わってくる暖かさに耐えきれなくて、布団の中から顔を出した。
「お前を、『お母さん』のようだと思った事はねぇな」
俺の言葉に、爆豪が笑う。
しゃがみ込んだ姿勢で、膝に頬杖をついて。
あの時と同じ、眩しい表情(カオ)で笑っていた。
「髪、グシャグシャじゃねェか」
爆豪の手が、俺の髪を撫でる。
その手が心地よくて、されるがままにしていた。
「……爆豪。俺も」
手を伸ばして。指を絡め、掌を合わせるようにして爆豪の手を握る。
もう一方の手で、爆豪の頭を引き寄せた。
「やめろ」
「フザけんな」
普段なら返るだろう声は、聞こえてはこない。
彼はただ大人しく、俺の腕の中にいた。
「爆豪。お前が帰る場所も『此処』か?」
聞いてみたくて、口にする。
「当たり前だわ」
此処しかねェわ、と爆豪が笑った。
笑って、くれた。
「俺もだ……」
爆豪を抱き寄せる手に力を込める。
「なぁ爆豪」
「あァ?」
「今、キスしてぇ、なんて言うのは、卑怯かな?」
「卑怯だわ」
「――そうか」
「ああ。口説くんなら、別の日にしろや。……今日は、他の女のコト考えんの許してやるわ」
その言葉に、震える吐息が洩れる。視界が滲む。
何も言わず、俺の顔も見ず――爆豪はただ、俺を抱きしめてくれていた。
翌日の朝。
ん、と爆豪が俺へとスマホを突き出す。
「?」
「テメェに電話だ」
耳にあてれば、「あの、ショートさん?」と少年の声が聞こえた。
「オレ、昨日助けてもらった――」
母に、最期まで付いていてくれてありがとう。
ひどいこと言って、ごめんなさい。
そんな――俺の心を救ってくれる『ヒーロー』の声を。
爆豪の手を握りしめながら、じっと、聞き続けた。